ゼカリヤ2章 エルサレムを測りに行く

ゼカ2:2「私がその人に、「あなたはどこへ行かれるのですか」と尋ねると、彼は答えた。「エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るために 」」
2章は測り綱をもったみ使いに出会うことから始まっています(1)。聖書の中には神が測りなわを使って何かを測る様子がいくつか書かれています。イザヤでは「公正」こそが、わたしの測りなわだとあり(イザ28:17)、測るものが正しく測れていることがわかります。エゼキエルでは1000キュビトごとに水が増していく様子を測っています(エゼ47:4)。またダニエルには「メネ、メネ、ラウル、ウ・バルシン(数えて、数えて、測って、そして別れた)」というアラム語が壁に現れました(ダニ5:5)。主が数えたのは「時間」であり、測ったのは「公正さ」でした。エゼキエルでもダニエルでも、測るのに時間がかかり、その結果として神のさばきや奇跡が成就しています。エルサレムを測るのも単に大きさを測るのではなく、神にふさわしい幅と長さを見極めているように見えます。そしてある一定の長さに達したときに、主は来られ、私たちのただ中に住まわれるようになります(11)。エルサレムの城壁はなくなりますが(4)、主が火の城壁となってくださる(5)と預言されています。そのときには「シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ (10)」とあるように、圧倒的な主の臨在に喜ぶようになります。すべては「測り綱」で測ることからスタートするのです。