創世記32章 私は彼を恐れているのです

創21:11「どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです 」
エサウが長子の権利を軽視したのは、エサウに問題がありました(25:32-34)。しかし、エサウの祝福を奪ったのはリベカとヤコブが仕組んだことで、エサウには落ち度はありませんでした(27:17-31)。ヤコブがいつもうまく立ち回っているのは、彼の性格のゆえで、ヤコブは産まれてくるときからエサウのかかとをつかんでいました(25:26)。そんな、狡猾なヤコブもリベカの発案したエサウの祝福を奪ったことにはかなりの後ろめたさがあったようです。もちろん、エサウは怒り再びヤコブに出会ったら、殺しかねない勢いでした(27:41)。それは20年過ぎても変わっていないだろうとヤコブは思っていたのです(31;41)。ヤコブは自分の前に妻や子どもを行かせ、自分は最後に行くようにしました(17-20)。そしていざエサ ウに出会ったときは地にひれ伏して7度もお辞儀をしました(33:3)。あたかも神を礼拝するかの畏敬の念をエサウに見せたのです。エサウがどんなにヤコブを憎んでいたとしても、山羊や羊やらくだを何百頭も見せられ(14-15)、それが自分への贈り物だと聞かされるなら(18)、怒りが溶けていくと思います。しかも、宿営を2つに分け、もしエサウが1つを襲ったとしても、1つは逃げ延びれるだろうと画策までしていました(8)。まさしく、生き延びることががヤコブの狙いでした。