ヨブ19章 私をあわれめ

ヨブ19:21「あなたがた、私の友よ。私をあわれめ、私をあわれめ。神の御手が私を打ったからだ 」
「あわれめ」はヘブル語「chanan(ハナーン)」が使われ、「丁重な態度」を意味します。確かにヨブにとっては、3人の友人の言葉は「ヨブ(彼)をどのように追い詰めようか(28)」という響きにしか聞こえなかったはずです。それは不幸な出来事は神のさばきによるものだという概念から来ています。洋の東西を問わず、どの地域でも天変地異は神の罰だと信じる傾向があります。神の罰にはいけにえを捧げることで相殺される、と教えているのはまさしく聖書です。その苦しみの中にあってヨブが語った「私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを (25)」というのは難解な言葉です。多くの聖書学者はこれは後に来られるイエス様のことだと考えています。ヨブは「この方を私は自分自身で見る (27)」と言い、3人の友人がどんなに神を語ろうとも、ヨブの信じる神をまっすぐ見つめる様子が感じ取られます。それほど神とヨブとの間には偽りがなく、たとえヨブが苦しめられようとも誠実を尽くして仕えた神から目をそらすことなどできなかったのです。今のヨブに助ける者はありませんでした。親戚も来なくなり、友に忘れられ(14)、しもべも返事しなくなり(16)、妻も身内にも嫌われる有様です(17)。それでも「この方を私が自分自身で見る(27)」といったヨブの信仰には頭が下がります。