ヨブ25章 ましてうじである人間

ヨブ25:6「ましてうじである人間、虫けらの人の子はなおさらである 」
「うじ」のヘブル語は「rimmah(リマー)」で、出エジプトで荒野にマナが降ってきたとき、安息日の前の日に2倍集めても腐らず、うじもわかなかった…という記述が聖書に最初に出てくる「うじ」です(出16:24)。虫の中でも最も敬遠されている名前を出すことで、神の価値をさらに上げる効果が出ています。日本語の謙譲語のように、自らを下げることで相手を敬うのに似ています。このビルダデの反論を最後に3人は黙ってしまいます(27:1)。神についての知識はそれぞれ持っており、3人の主張、ヨブの主張共に正論をぶつけ合っています。しかし、「私は間違えない」と「私は正しい」という2つの主張には微妙なニュアンスの違いがあります。少なくとも3人にはヨブは「私は正しい」と言っているように聞こえたようです(27:1-5)。イエス様は「あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです (ヨハ9:41)」と言われました。見える者が盲目で、見えない者の目は開かれるのです。たとえヨブが正しくても、自分を高くしようとするなら、ヨブに罪は残るのです。ヨブの主張は次第にほころびて来ます。最初の「裸でかしこに帰ろう(1:21)」と言ったヨブの信仰はどこへ行ったのでしょうか?