ヨブ記35章 神はどこにおられるか

ヨブ35:10「しかし、だれも問わない。「私の造り主である神はどこにおられるか。夜には、ほめ歌を与え」 」
神に叫び求める人に対して(9)、もし何も起きなければ周りの人は「あなたの神はどこにいるのか」と尋ねるでしょう。叫び求める内容がむなしいものなら、神は聞かれないとあります(13)。何が望みで、何が必要かは人それぞれ違うでしょう。それらの望みや必要が神の御心に叶うものなら神は受け入れてくださいます(1ヨハ5:14)。しかし、ヤコブ書には「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです (ヤコ4:3)」とあります。祈りがすべて御心にかなうものではありません。時には人は迷い、自分中心に考え神の必要ではなく、自分の必要のために祈ります。確かに神を信じる者が繁栄し、恵まれるなら神の栄光を表し、証しになるでしょう。しかし、ヨブはそのように繁栄した者でしたが、神の試練にあっています。今、エリフはヨブに神の正しさ(15)を訴え、ヨブが神に対する知識もなく、ただ言い分を述べ立てているだけだと訴えます(16)。ヨブが神に対する知識がないとは思えませんが、ここまで自分の正しさを訴えるならエリフも容赦なくヨブを糾弾します。エリフはたとえヨブが正しいとしてもそれが神のためになり得るかと訴えています(7)。口の悪いエリフの言葉の中にも意外に的を得た真理が隠されているのです。