出エジプト36章 なおも朝ごとに

出36:3「彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た 」
「感動」した者たちが進んでささげ物が止まりません。ついにモーセは「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように (6)」とふれたために、民は持ってくるのをやめたとあります(6)。それでも集まった物は十分であり余るほどだったと書かれています(7)。「感動」はヘブル語では「霊が動かされた」という表現がされています、「霊」は「ruwach(ルアーク)」で「息」や「風」の意味があります。「感動する」は心が動かされることですが、原文では心ではなく「霊」が動かされたことになっています。感情や意識に左右されず、純粋に人の霊が神の圧倒的な存在に心が揺り動かされたのです(35:21)。一時は金の子牛を作って拝み(32:4)、主から「うなじのこわい」民だと好ましくない名前を付けられています(35:5)。しかし、ここに集まった心から進んでする者(35:21)や知恵のある者(35:26)たちの主のささげる思いは止まることはありませんでした。モーセが命じられた幕屋の建設のために金も労力も惜しまないイスラエルの民の様子が書かれています。うなじのこわい民であっても、主によって霊が動かされるなら、本来礼拝するべき神がいったい誰かをしっかり把握していたのです。