詩篇1篇 時が来ると実がなり

詩1:3「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」
何かをすれば幸いになるのではなく、何かをしなければ幸いだと書かれています(1)。具体的には「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった(1)」という3つが挙げられています。禁止や制限は逆を言うと、それが可能なことを指しています。神を信じる者であっても「悪者のはかりごと」に加担することがあり得るのです。しかし、あえて悪者のはかりごとを避け、関わりを持たないなら祝福を受けます。それは「水路のそばに植わった木のようだ」とあり、「水路」のヘブル語「peleg(ペレグ)」は、人工的に作られた 水路や運河を指します。つまり、川のほとりに自然にはえる木ではなく、植樹され、毎年の収穫を期待できる木々のことです。「時」のヘブル語「'eth(エイス)」は季節も表す単語で、悪者、罪人、あざける者を避けることができた人には、ある時期になると実がなるとあります。たった6節しかありませんが、「時が来ると」という語には、困難、苦労、悲しみを乗り越えた人だけが経験できる「時」を指しているように思います。