イザヤ25章 御救いを楽しみ喜ぼう

イザ25:9「その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう」」
「救い」のヘブル語は「yeshuwah(イエシュア)」で「ヨシュア」の語源となった言葉です。イザヤもヨシュアも「主は救い」という意味で、「イエス」はギリシャ語読み「イエスース」で、ヘブル語ヨシュアのことです。「救い」を初めて口にしたのはヤコブです(創49:18)。12人の息子に終わりの日に起きることを告げるときに、ダンに対する預言の際に、唐突に「主よ。私はあなたの救いを待ち望む(創49:18)」と語っています。このときすでに「yeshuwah(イエシュア)」が使われています。聖書を通じて「救い」は「死」を免れるときによ く使われています。イザヤは「永久に死を滅ぼされる(8)」と語り、人が死から解放されることを預言しています。また、ヨハネは「愛」によって、死からいのちに至るのだと語っています(1ヨハ3:14)。死を選ぶ人は愛を捨てる人です。パリサイ人は「正義とあわれみと誠実(マタ23:23)」をおろそかにしていたためにイエス様から強い叱責を受けています(マタ23章)。死とあわれみは対極にあるもので、あわれみがなければ愛もありません。愛のない世界は死の世界です。御救いを喜べるひとは愛のある人だと思います。