イザヤ31章 人間であって神ではなく

イザ31:3「エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も、肉であって霊ではない。主が御手を伸ばすと、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、みな共に滅び果てる」
エジプトに拠り頼んだことが責められています。彼らは「イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない(1)」とあるように、目に見えるものに頼ろうとしたのです。人間ならば目に見えるものに頼るのは仕方のないことです。しかし、主は「みことばを取り消さない(2)」お方です。「神」も「霊」も目には見えないものです。ソロモンは「自分の悟りに頼るな(箴3:5)」と語り、主に頼ることを悟っています。空気の存在は信じれても、神は信じないのなら、パウロの言うように「彼らに弁解の余地 はない(ロマ1:20)」のです。神が一度「光があれ(創1:3)」と言われたなら、そのことばが取り消されるまで永遠に続きます。自然の仕組み、人体の仕組み、天体の配列などどれをとってもある「知恵」の存在を示しています。エジプトやエジプトの馬は神以外に解決があるよに思わせるサタンの誘惑だと思います。聖書に書かれている神に頼ることが「知恵」なのではないでしょうか。