イザヤ38章 苦しみは平安のため

イザ38:17「ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました」
ヒゼキヤは25歳で王になり、29年間王だったと記録されています(2歴29:1)。つまり死んだのは54歳で、イザヤから死の宣告を受けたのは39歳のときです。彼は偶像を一掃し(2王18:4)、宮を清め(2歴20:15)、全焼のいけにえを捧げ主を礼拝しました(2歴29:27)。なによりも、偶像を取り除いたのはヒゼキヤの大功績だと言えます。しかし、アッシリアの手はイスラエルとユダにも延び、一時は金、銀を渡して講和を図りますが(2王18:15)、すぐにラブ・シャケにエルサレムを包囲されます(2王18:17)。そのよう な苦しみを通った後、主の不思議な力でアッシリアは去っていきます(37:36-37)。この直後にイザヤから死ぬことを告げられるのです(1)。一難去って、また一難とはこのことのようです。列王記にはヒゼキヤが病気から快復したときの言葉はありませんが、イザヤはこの様子をしっかり記録しています。ヒゼキヤはすべての苦しみは平安のためだと言い、どんなに苦しくてもそれは幸いだとするペテロの主張(1ペテ3:14)と相通じるものがあります。