イザヤ40章 神をどんな似姿に

イザ40:18「あなたがたは、神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようとするのか」
聖書では偶像はどんな偶像でも禁じています(出20:4)。イスラエルとペリシテの戦いのとき、契約の箱が奪われたことがありました(1サム4:19)。それはイスラエルの民が契約の箱そのものに神が宿っていると信じていたからです。確かに、神の箱は同じ場所にあったダゴンの像の頭と腕を切り離しましたが(1サム5:4)、箱が神ではありません。どうしても目に見えるものに置き換えないと人は納得しないようです。像や神の箱は、「ものも言えず、歩けないので、いちいち運んでやらなければならない(エレ10:5)」のです。また、「何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません(使17:24)」とパウロも教えています。アメリカにある「自由の女神」はその場所から、自分では動けず、挙げた右手を自分の意志で下ろすこともできないのです。自由の女神ならぬ、不自由の女神です。「神は霊(ヨハ4:24)」だと理解するには神の知恵が必要です。