イザヤ51章主はシオンを慰め

イザ51:3「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある」
もし、人が永遠に生きることが最初から分かっているなら、救われることも、贖われることも理解できないでしょう。人は必ず死にます(創2:17)。律法がなければ罪もありません(ロマ3:20)。罪がなければ赦される喜びがわからないのです。罪の重みがわからなければ、贖われたときに神に感謝することもないでしょう(ロマ6:17)。「喜び」や「感謝」は、主から離れた者でなければ生まれない感情だと思います。イエス様は「悔い改め」を説きましたが(マタ3:2など)、イザヤのシオンが慰められるという預言のことと関係しているように思えます。悔い改めることが神との和解の一歩であり(ロマ5:10)、神との和解は救いで完成されます。イザヤは主に贖われた者は帰ってきて「彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく(11)」と預言しています。これはバビロン捕囚からの帰還だけでなく、終わりの時代の預言だと思います。「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない(黙21:4)」はシオンの慰められた完成形ではないでしょうか。