イザヤ52章 ここにわたしがいる

イザ52:6「それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。その日、『ここにわたしがいる』と告げる者がわたしであることを知るようになる」
パウロは宣教の召命としてイザヤの52章のことばを引用しています(7)。「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう(ロマ10:14-15)」は、多くの宣教を志す人たちが与えられる御言葉です。今やイエス・キリストの名は全世界に広がり、他宗教の人でさえその名を知らない者はいません。しかし、名を聞いたことがあるのと、救い主として受け入れるでは大きな違いがあります。それは「知る」というヘブル語が「yada(ヤダー)」という、個人的なかかわりを意味する言葉を使ってことでわかります。知るようになるのは、聞いて知識としてその名を覚えるというたぐいのものではありません。「知る」のは体験として、その人格や性格までを受け入れることです。やがて主は帰って来られます(8)。そのとき喜ぶ人々は苦しみをしのぎ、憂いを耐えた選ばれた人たちでしょう(9)。「ここにわたしがいる」という呼びかけに応える人はだれでしょうか。