イザヤ62章 その救いが、たいまつのように

イザ62:1「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは」
城壁(6)や聖所の庭(9)のことが書かれているので捕囚から70年後の神殿再建の預言にも思えます。同時に「あなたの救いが来る(11)」は、イエス様以降の預言も語られているようです。「救い」はヘブル語「yesha(イエシャ)」が使われ、イザヤ、ヨシュアの「主は救い」の語源となった言葉です。捕囚という悲劇を経験したユダヤ人たちは、自分たちが愚かだったと反省したのでしょうか?それともこんなひどい目に合わせた神を二度と信じないと悲観的になったのでしょうか?70年は出エジプトで荒野をさまよった40年よりさらに長い時間です。出エジプトの40年は1世代滅びるのを待ったせいです(申1:35)。捕囚後のおそらく3世代目の時代に入ったとき、エルサレムで城壁を再建しようとしたユダヤ人たちは喜んでそれをしようとしました(ネヘ2:18)。つまり捕囚に遭ったユダヤ人の子孫は神を忘れず、イザヤの預言を胸に、いつか再興の夢が実現すると信じていたのです。エズラもネヘミヤも最後は悔い改めて書簡が終わっています(エズラ10:9-44、ネヘ13:17-30)。ユダヤ人がせっかく集まったのに異邦の妻がたくさんいたからです。本当にイザヤの預言が成就するのは救いが現れ、ユダヤの再興をなしたときだと思います。