詩篇139篇 私がよみに床を設けても

詩139:8「たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます」
天はヘブル語「shamayim(シャマイム)」で、創世記の冒頭「初めに、神が天と地を創造した(創1:1)」に使われた「天」と同じ言葉です。「よみ」は「sheowl(シェオル)」で、新共同訳、口語訳では「陰府(よみ)」と書かれ、死者が行くところとされています。ダビデが仮に死んだら行くところを2つに絞り、両極端な話をしています。よみは悪人が帰るべき場所だとあり(9:17)、また天は高く、よみは低いところだと書かれています(ヨブ11:8)。そしてよみは生きる者が行くべき場所ではありません(民16:30)。逆に天には神の王座あり(イザ66:1)、上にあることが書かれています(申4:39)。 天に神がおられることは理解できますが、よみにも神の目は注がれ、悪人が集う場所であっても神の意識から逃れるすべはないことがわかります。さらにダビデは自分がまだ胎児だったころに、主がダビデの全人生で起こることを書物に書かれたと言っています(16)。生まれる前から神の選びが決まり、たとえよみに下ろうとも主の愛は変わらず注がれるとしたら、なんという福音でしょうか?ダビデの感謝の基はここにあるのです。