詩篇141篇 正しい者が愛情をもって

詩141:5「正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります」
「正しい者」は預言者ナタンを指しているのかもしれません。それはダビデが失敗し、それをとがめることができたのはナタンぐらいしかいなかったからです。ダビデがバテ・シェバが欲しい余りに、バテ・シェバの夫ウリヤを殺してしまったことが頭をよぎります(2サム11:15)。そのときにナタンの取った忠告の方法はたとえ話をすることでした(2サム12:1-4)。ナタンの話を聞き激高するダビデですが、すぐにそれは自分のことだと知らされます(2サム12:5-7)。愕然とするダビデですが、その場で自分ではないと否定してナタンを追い出すこともできたでしょう。しかし、ダビデは「主に対して罪を犯しました(2サム12:13)」と罪を認めるのです。そのとき歌った詩がこれかも知れません。ダビデもまた言葉による失敗を避けようとしていました(3)。ヤコブの言う「舌を制御することは、だれにもできません(ヤコ3:8)」は、まさに真理でありたとえダビデであってもその失敗から逃れることはできなかったのでしょう。たとえ失敗したとしても、ダビデは罪を認めた潔さは聖書を読む者を感動させます。