エレミヤ12章 バアルによって誓うことを教えたように

エレ12:16「彼らが、かつて、わたしの民にバアルによって誓うことを教えたように、もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、『主は生きておられる』と誓うなら、彼らは、わたしの民のうちに建てられよう」
バアルのことを深く学び、仕えることができるなら、天地を創造されたまことの神にも同じようにできるはずだと主は言われています。聖書には「バアル」の名の付く地名が多く登場しますから(民22:7、ヨシュ11:17など)、メソポタミア地方では古くから広く信じられていたようです。聖書でユダヤ人がバアルに仕える記述は、士師記に初めて登場します(士2:11)。強いリーダーのモーセヨシュアが死んだ後にイスラエルの民が自由に振る舞い始めたことが判ります(士17:6)。にせの神に何の力もなく、拝んでも意味のないことは主ご自身がご存知のはずです。創世記では、エデンに「見るからに好ましく食べるのに良い(創2:9)」木があったと書かれています。その中で「善悪の知識の木」だけは食べてはならないと命じられていました(創2:17)。触ってはいけない、食べてはいけない…と禁じられると人はどうしてもそれを破りたい誘惑にかられます。聖書の神以外の神を拝んではならないと言われるなら(出20:3-5)、そのタブーを侵したくなるのです。バアルを1回ぐらい拝んでも大丈夫だろう…と最初はちょっと試すつもりでも、誘惑の手はそれで終わらないのです。