エレミヤ13章 私の目は涙を流そう

エレ13:17「もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。主の群れが、とりこになるからだ」
詩篇などでは自分の不幸を嘆いて泣き、主に訴える歌がいくつかあります(詩6:6、39:12など)。エレミヤの場合はイスラエルの民が主の言われたことを聞かず、高ぶっていることを悲観して涙すると言っているのです。これほど言ってもだめなのか…というエレミヤの深い嘆息が聞こえるようです。主は「帯」によって、イスラエルとユダは結びついていたと言われます(11)。パウロは「愛は結びの帯として完全なものです(コロ3:14)」と言い、愛を使って結ばれるなら完全だと言っています。それは主がイスラエルとユダとの関係が、単なる損得の勘定や、片方だけが有利になる条件の基では行われていないことを示しています。旧約の時代も、新約の時代も、神を信じる者を通して主が栄光を現すという手法は変わっていません。ユダヤ人もクリスチャンも同じ使命を持っているのです。主に聞き従うことは「彼らがわたしの民となり、名となり、栄誉となり、栄えとなるためだった(11)」と書かれています。イスラエルの民がもう少し主に目を向けていれば、近隣諸国の人々が主の栄光を見て、まことの神がいったい誰なのかを証しすることもできたのではないでしょうか?