エレミヤ42章 しあわせを得るためです

エレ42:6「私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです」
ヨハナンたちが主の声を聞きたいと思うのは「しあわせを得たい」からです。ヨハナンたちはエレミヤから主のことばを聞き、自分たちの願いと違っていることがわかると、エレミヤを「偽り者」だと糾弾するのです(43:2)。この傾向はゼデキヤにも見られます。最初ゼデキヤはユダを滅ぼす預言をするエレミヤを煙たがっていました(32:1-3)。しかし、周りにいたご機嫌取りの預言者がいなくなると、エレミヤに自分たちのために祈ってほしいと願っています(37:3)。さらに他の者に知られないようにエレミヤに密かに主のみことばがあったかを聞こうとしました(37:17)。それはエレミヤを監視の庭に監禁したときにもあり(38:14)、エレミヤの口から何か自分に好都合な内容が語られないかを期待しているかのように見えます。ヨハナンたちのエレミヤの扱いも、ゼデキヤとよく似ています。彼らには何とかしてエジプトへ行くこと(17)が神の御心だと言わせたい、という雰囲気が漂っています。どんなにご機嫌を取っても、真の預言者が神のことばを曲げることはないのです。ヨハナンたちの思惑は見事に打ち砕かれ、エジプトへの道は絶たれてしまいました。