エゼキエル14章 、尋ね求めた者の咎と同じ

エゼ14:10「こういう者たちは、自分たちの咎を負う。この預言者の咎は、尋ね求めた者の咎と同じである」
需要と供給のバランスが崩れると、経済は立ち行かなくなります。この場合の「需要」は、人々が預言者に都合の良いことばを期待することです。それに対して「供給」は、あたかも神が良い結果に導いてくれるという適当な預言を与えることです。どちらに負い目があるかというと、同等であるとエゼキエルは預言しています。預言した預言者だけが咎を負うのではなく、尋ね求めた者にも同様の咎があると言われています。エゼキエルの前に座った長老たちも同じような罪を抱えていました(1)。それはエゼキエルに神のことばを聞きに来ているにも関わらず、「自分たちの偶像を心の中に秘め(3)」ていたからです。自分たちの信仰する異教の神を捨てずに、エゼキエルの神に聞こうとするのはあまりにも失礼です。主はおそらくイザヤ、エレミヤ、エゼキエルその他大勢の預言者が繰り返したことをもう一度言われています。それは「悔い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものをあなたがたの前から遠ざけよ(6)」ということです。今頃、エゼキエルのもとに集まる長老たちは、まだ悟っていなかったのです。