エゼキエル15章 彼らから顔をそむける

エゼ15:7「わたしは彼らから顔をそむける。彼らが火からのがれても、火は彼らを焼き尽くしてしまう。わたしが彼らから顔をそむけるそのとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう」
「顔をそむける」とは、神の守りから外れるということです。主がイスラエルの民を保護し、大切に扱われていたからこそ、今まで滅びずにいたのです。その保護が失せたとき、「あなたがたは、わたしが主であることを知ろう(7)」と書かれています。イザヤの救世主預言の中に「人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった(イザ53:3)」というものがあり、イエス様が人から大切に扱われないことが預言されています。もし、神から顔をそむけられたなら、そこに救いはありません。十字架上のイエス様は、死ぬことよりも、たった一瞬でも神が顔をそむけることに耐えられず、ショック死したと言われています。それほどの信仰がユダの国民には残されていません。主はぶどうの木がどれほどまさっているのかを問われています。ぶどうは実をつけ、ぶどう酒を作るために育てるのです。もし、実をつけないのなら、たきぎとして投げ入れられ、焦げてしまうだけだけです(4)。主にとどまらなければ、投げ捨てられ、寄せ集めて火に投げ込まれます(ヨハ15:6)。ユダ国民は最後まで主にとどまれませんでした。