エゼキエル13章 主であることを知ろう

エゼ13:23「それゆえ、あなたがたは、もう、むなしい幻も見ることができず、占いもできなくなる。わたしは、わたしの民をあなたがたの手から救い出す。このとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう」
「わたしが主であることを知ろう」という定型文句は聖書に48回登場し、すべてエゼキエルに書かれています。「知る」のヘブル語「yada(ヤダー)」は、「理解する」以外に「経験し覚える」という意味を含みます。アダムがエバを「知った」と書かれているのは(創4:1)、見るだけでなく、目以外の感覚すべてを使って理解したという意味です。遣わしもしない預言者が「主」の名によって預言することは(6)、大きなつまづきとなりました。それらの預言者を放置したのは、「とき」が来たときに彼らがいかに偽りであったかを示し、主がまことの神であることを知らしめるためでした(9)。ユダの残りの民は、もう主の噂や評判を聞くだけでなく、実際に主が生きておられ、働かれるお方だということを「yada(ヤダー)」したのです。預言者の中には僅かな食料のために多くの無実の者を殺した預言者もいました(19)。また別の預言者は手首にかける飾り物やベールを使って、もっともらしい演出をして預言を信じさせていました(18)。それらのことが起きたのも、ユダの民が主を「知る」ことがなかったからです。