エゼキエル22章 そこに入れて溶かす

エゼ22:20「銀、青銅、鉄、鉛、すずが炉の中に集められるのは、火を吹きつけて溶かすためだ。そのように、わたしは怒りと憤りをもってあなたがたを集め、そこに入れて溶かす」
「鉄は土から取られ、銅は石を溶かして取る(ヨブ28:2)」とあるように、主な金属をどうやって自然から取ればいいかの知識は確立していたようです。それゆえ、十戒の「偶像を造ってはならない(出20:4)」の戒めも、こういった技術をすでに人が習得したことが前提のものです。古くはヤコブの妻ラケルの父が「テラフィム」という家の守り神のような偶像があったことが記されています(創31:19)。また、モーセが山に登っている間に、イスラエルの民は金の飾りを溶かして金の子牛を作っています(出32:4)。金属を溶かすのは、新しい型に入れ、前とは違ったものを作るためです。しかし、「かなかす(18)」と呼ばれるなら、違う形どころか不要になった「かす」にしか過ぎません。エレミヤも各所でエルサレムが火で焼かれることを預言しています(エレ21:10、34:2など)。エレミヤとエゼキエルが預言したように、バビロンは主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼きました(2王25:9)。主は多くのしるしと預言の成就を見せることによって「わたしが主であることを知ろう(16)」ということを分からせたかったのだと思います。