ガラテヤ3章 絶対にそんなことはありません

ガラ3:21とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう」
パウロ独特の「~でしょうか」「絶対にそんなことはありません」という自問自答の書き方が見られます。ローマ書では10回にもわたって、この用法を使っています(ロマ3:4,3:6,3:31,6:2,6:15,7:7,7:13,9:14,11:1,11:11)。ギリシャ語では「mei ginomai(メイ ギノマイ)」で、「mei」は強い否定を表し、「ginomai」は「ある」とか「いる」などの、英語のbe動詞に近い何にでも使える動詞です。英語では「absolutely not」とか「not at all」という風に場面によって訳を変えています。パウロが説得するときの決まり文句のようなもので、この表現がガラテヤの中にもあることによって、ガラテヤへの手紙がパウロによって書かれた証拠になります。ガラテヤ教会では、律法と信仰のはざまにあり、旧約聖書の神を崇めるためには律法は不可欠ではないか…という疑問がありました。パウロは律法が無効になったわけではないと説明します(17)。しかし、誰ひとり律法を全うできる者がいないために、違反だけが示される時代が長く続きました(22)。「あなたの子孫(16)」すなわちキリストを信じる信仰により、神の子どもと同じ約束を受けられるのです(26)。