シオンの娘

イザヤ1:9『もしも、万軍の主が、少しの生き残りの者を私たちに残されなかったら、私たちもソドムのようになり、ゴモラと同じようになっていた」
全滅ではなく、少しだけ生き残りの者を残されたから、自分たちは滅びのものとはならなかった…という意味です。シオンあるいはシオンの娘は教会を表わします。イザヤはミカと同年代の預言者で、11代王ヨタム、12代アハズ、13代ヒゼキヤ王の時代だと書かれています(1)。イスラエルの罪は、背徳の行為で他の神を拝むことに大きな問題がありました。神が見えなく、声も聞こえないならどうやって信頼していけばいいでしょうか?信仰は「目に見えないものを確信させるもの(ヘブ11:1)」だとあります。ここに神と人との間に大きな隔たりがあるのです。もちろん「罪」がなくなれば、神に喜ばれるでしょうし、神に出会うことも可能です。しかし罪の大元である肉に閉じ込められても、それでもなお主を求めることができるなら、それは信仰だといえないでしょうか?困ったときや苦しいときだけに求めるのでなく、喜びのときにも主を求めることができれば幸いだと思います。