主だけがたたえられ

イザ2:11「その日には、高ぶる者の目も低くされ、高慢な者もかがめられ、主おひとりだけが高められる」
17節にも同じ言葉が繰り返されていますが、低くされと高ぶるが入れ替わっています。人が高ぶる姿は醜いものです。その心の裏には「自分が認められたい」という思いが潜んでいます。自慢をするとき、人をひれ伏させ、自分を高くしてもらいたいと思っているのです。なぜそんな思いが人の心に現われるのでしょうか?おそらく、神の性質を受け継いでいるからだと思います。しかし神は高ぶりません。主は高慢になったりしないのです。ご自分が最高であることをご存知ですし、それをひけらかしても意味のないこともご存知です。むしろ「神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです(ピリ2:6-7)」とあるように、神のプライドをかなぐり捨ててでも人を愛することを選択なさったお方なのです。主の御名が、永遠にほめたたえられますように。