ういきょう、クミン

イザヤ28:27「ういきょうは打穀機で打たれず、クミンの上では脱穀車の車輪を回さない。ういきょうは杖で、クミンは棒で打たれるからである」
ういきょうもクミンも香辛料です。打穀も脱穀もやりすぎるなら、実を壊してしまい、食べられなくなってしまいます。原始的な方法ですが、ういきょうは杖でクミンは棒でたたきます。収穫は神にとっても大事なことですが、収穫した実に殻がついているなら調理できません。収穫はそのまま「救い」と考えることができるでしょう。主が刈り取りをなされた実を棒などでたたくのは、余計なものを振り落とすためです。救われるなら、すぐに聖書のことを悟り、人格も瞬時に変えられ成長したクリスチャンになれる…というわけではありません。主にはご計画があります。収穫した実がすべて良いわけではないのです。救いの次は聖めです。神殿に入るとすぐに礼拝したいのですが、身を聖め、罪をあがなわなければ聖所には入れません。打たれることを嫌がっては、主は用いてくれないでしょう。クリスチャンならたたかれて、悔い改めて、主にすがって…を叩き込まれるはずです。なぜなら愛されているからです。