しかし、ついには

イザヤ32:15「しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる」
女は教会を指します。のんき(complacent)、うぬぼれ(feel secure)な教会が開拓するなら、収穫がなくなり、取り入れもできなくなります(10)。土地はいばらやおどろで生い茂り(13)、荒れ果ててしまいます。「しかし、ついには」…という言葉には、いつまでもそのままで放置されない、という意味です。教会がキリストの花嫁である以上、のんきやうぬぼれのままで放っておかれることはありません。やがて、いつか神の霊が臨み、聖霊と共に土地を耕し、種をまき、収穫の日を迎えることができます。今、聖霊を受けているなら前進しましょう。もしまだなら、聖霊バプテスマを願い求めましょう。神を信じるすべての人にチャンスはあります。心を一新して自分を変えたいと思うなら(ロマ12:2)、聖霊の協力が不可欠です。聖書に書かれていることが実現するには、神と共に歩むことが条件だからです。