聖書を調べて読む

イザヤ34:16「主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである」
主の書物は聖書しかありません。聖書の中には、すべてが書かれています。「すべて」とは人に関するすべてのことです。そしてそれは、主の口が命じ、聖霊がこれをあつめた…とあります。他の箇所では「聖書はすべて神の霊感によるもので(2テモ3:16)」とあり、筆者がモーセパウロ、ペテロ、ヨハネだとしても、彼らに聖霊が臨み彼らの心を動かして書かれたのは疑いの余地がありません。それは聖霊を受けたことのある人なら理解できるでしょう。人の心は、言葉によって左右されます。毎日、神の言葉触れ続けるなら、やがてその人は神の御心を知ることができるようになります。御言葉に触れるのが、日曜の礼拝のときだけなら、心は枯渇してしまいます。マナは毎日拾い集めなければなりません。食物を得るには「拾う」という行為が必要なのです。はたして主の御心は何だろうと、調べて読んでみてはいかがでしょうか。