アッシリアの作戦

イザヤ36:16「ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリヤの王はこう言っておられるからだ。私と和を結び、私に降参せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、また、自分の井戸の水を飲めるのだ」
ヒゼキヤは13代ユダ王国の王で、同時期に北イスラエルではホセアが王であり、王になって9年目で捕囚にあいました(2王17:6)。歴史ではBC722年にイスラエルが滅亡し、BC705年にアッシリアの王がサルゴン2世からセンナケリブに交代しています。つまりこの出来事はアッシリアの次の王が、前王のように手柄を立てるために仕組んだ作戦でした。アッシリア側に伝えられる記録には、BC701年に確かにユダ王国エルサレムを包囲したことが書かれていますが、陥落することなく撤退しています。理由は書かれていませんが、聖書では主の使いによって18万5千人が打たれたと書かれています(2王19:35)。アッシリアの記録にも、さすがに神の使いによって18万人もの兵士を失ったことは書けなかったのでしょう。しかし確かにラブ・シャケはやってきて、主の民を愚弄しました。時には沈黙して、主に委ねることも必要だと思います。