昔も、これから後も

イザヤ43:13「これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はなく、わたしが事を行なえば、だれがそれをとどめることができよう」
ヘブル語には時制の区別がなく、「これから後も」は日本語の補足です。「わたしは神だ」とヘブル語で書かれているなら、それは過去、現在、未来に渡って神であることを意味します。日本語も時制に関しては、他の言語よりあいまいなので、日本人のほうがヘブル語を理解しやすいかも知れません。聖書には、神は天地創造の前から存在し、永遠をつかさどっていることが書かれています。神の民になるには、神のご性質である「永遠」をも引き継ぐ必要があります。もし命が有限で、途中で死んでしまうなら、神のご性質を引き継いでいません。「わたしは神の民だ」と言うなら、神のご性質を共有しているはずです。喜び、憂い、悲しみ、怒り、嫉妬…など、すべては神のご性質です。それらのものは持っていても、「永遠」は共有できないなら、神の民ではないのです。主が選んだヘブル語は難しく、難解な表現はたくさんあります。しかし何かご計画があってヘブル語が選ばれたはずです。時制を超えた表現はまさしく、神ご自身にふさわしく、過去、現在、未来はすべて主の手の中にあるのだと思います。