人生を人の都合にする

イザヤ44:15「それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す」
木が育つのは、主が用意した土地に雨を降らせてくれるからです。神がいなければ木も育つことはありません。にも関わらず、人は木を切り、たきぎにして、パンを焼いたり、温まったりします。あげくに神を彫って偶像を作り、ひれ伏して拝むのです。くべる木がなくなるなら、神の彫刻でも燃やして温まることでしょう。そんないい加減な、神などあり得ません。人間の都合で拝まれたり、燃やされたりするなら、神もたまったものではありません。神の存在は絶対で、「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない(6)」と語られています。人はなぜ生まれてきて、死ぬのかを真剣に考えるべきだと思います。人生が進化論の常套句である「偶然」のたまものであるはずがありません。「人生に意味などない、一度きりの人生、思うがままに生きるのだ」…本気でそう思うなら、あまりにも悲しすぎます。