御心が地にも

イザヤ55:8「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ―主の御告げー」
「わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い(9)」と続きます。悲しいことですが、どんなに祈っても主の思い、つまり御心でなければ、思いは伝わりません。なぜなら「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです(2歴16:9)」と書かれているからです。御心が、この地に現れることが「祈り」です。「貧乏だからお金ください」とか「病気だから治してください」は、非常にレベルの低い祈りだと思います。イエス様も言われました「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように(マタ6:10)」…これは、主の祈りの初めの部分ですが、御心が地に行われることが神の栄光を現すことにつながります。祈りは自分の不足を補うためのものでなく、自分の必要が満たされることにより、主の栄光が現れることが第一の目的です。貧乏でも病気でも、その他苦しい人間関係も、すべて主のご計画の一部です。もちろん日々、主と交わっている…という条件はつきますが、自分の勝手な判断で不幸を招いておいて、ただ「助けてください」はあまりにも失礼だと思います。