貪欲な犬ども

イザヤ56:11「この貪欲な犬どもは、足ることを知らない。彼らは、悟ることも知らない牧者で、みな、自分かってな道に向かい、ひとり残らず自分の利得に向かって行く」
悟らない牧者は迷惑なものです。貪欲な犬とまで言われるこの人たちは誰のことでしょう?イエス様が地上に来られたとき、両替商や鳩売りの商売道具を蹴散らしたことがありました(マタ21:12)。そのときイエス様が言われた「わたしの家は、すべて民の祈りの家と呼ばれる(マタ21:13)」は、この章の7節を引用したものです。家(宮)の中であっても、汚れたことは起きます。つい、主のためだと思っても儲けに走ったり、私利私欲に目がくらんだりするものです。この預言は、身内の中でもそのようなものがいるという警告のようにも取れます。「牧者」と名が付くから偉いわけではありません。牧者ゆえに、謙遜でなければなりません。牧者ゆえに人に仕えなければなりません。貪欲になり、周りが見えなくなるなら、ある日イエス様が教会にやってきて、今までの行いを蹴散らすことになります。貪欲の反対は無欲です。無欲になって主に仕えることが終わりの時代に必要だと思います。