主が一緒にいたい人

イザヤ57:15「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである」
主はへりくだった人と共に住みたいのです。心が乱されている人、人を裁く人、平安のない人とは一緒にいたくないのは、クリスチャンも同じです。心に神をしっかり持って、信頼することです。何を?神を拠り頼む者たちに対して、決して悪い結果を与えないことを…です。すべては益に変えられ、主の栄光に結びつきます。主と共に歩む人たちの人生はすべてそうです。不条理な扱いを受けても、争いを避け、へりくだり、平和を求めるなら、主は共にいてくださいます。その人の心は生かされます。逆に、憤りや憎しみがある人とは、距離を置きたくなります。心に平安があることは、何より主を信頼している証拠であり、そのような人を見るとき、周りの人たちは主の栄光を感じ取っているのです。決して目に見える範囲だけではありません。霊がそう感じているはずです。なぜなら「私たちの格闘は血肉に対するものではなく(エペ6:12)」と書かれているからです。