救いのかぶと

イザヤ59:17「主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた」
イザヤの時代に「救い」を語っても、読む人にとってはピンとこないかも知れません。エペソとテサロニケでは「救いのかぶと」あるいは「救いの望みをかぶととして」書かれています(エペ6:17、1テサ5:8)。イザヤでは主が救いのかぶとをかぶるのです。戦場に出かけるとき、頭に何もかぶらないで行く人はいないでしょう。頭にダメージを受けるなら致命傷になりかねません。聖書では「救い」がかぶとだと言っています。自分の守るべきもっとも重要な頭には「救い」のかぶとをかぶって守るのです。救いは神との和解を受け入れた証拠です。サタンがどんなに「神はあなたから離れている、もう神はあなたを見放した」と言ったとしても、救いの確信があるなら、そんな攻撃をかわすことができます。なにしろ主ご自身が救いのかぶとを身につけているのです。主の最大の心の支えは人と和解したという確信なのです。