与えられた兄弟

1ヨハ3:14「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです」
エデンの園の時代、主は「人が、ひとりでいるのはよくない(創2:18)」と言われ、助け手をお与えになりました。救いが個人的な体験であることには変わりありませんが、人が信仰を保つにはあまりにも心が弱すぎます。教会は励またり、証ししたりできる場所であるべきだと思います。兄弟、姉妹が与えられているのも偶然ではないでしょう。それは「ひとりでいるのはよくない」と神が定めたルールだからです。人と人が愛し合うことは、人が神を愛するひな形のように思えます。目に見える者が愛せなければ、目に見えないものも愛せません。人は神の形に似せて作られています(創1:26)。それゆえ人には、人を思いやったり、哀れんだりする心が備えられています。もし善悪を知る実を食べなければ、人を裁いたりしなかったでしょう。裁きは怒りになり、怒りは罰を与えるきっかけになります。ヨハネもカインを取り上げていますが(12)、兄弟を愛する方法はカインの話の中に隠れているのではないでしょうか。