盗人のように

黙16:15「見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである」
1992年10月に韓国で「再臨」騒動がありました。聖書を信じるグループで、牧師ははっきりと啓示を受け、主が来られると宣言したのです。信徒の中には全財産を売り払い、主が来られるのを待ち望む人もいました。それはテレビでも中継され、預言の日の日付が変わるときまで信徒たちは天を見上げて祈り続けていましたが、何も起きませんでした。その後インタビューで牧師は「神は霊によって降りてこられた」と、かなり苦しい言いわけをしていましたが、財産を処分した信徒はたまったものではありません。いきなり現実に引き戻され、訴訟を起こす人たちもいたようです。主の日が隠されているのはクリスチャンなら誰でも知っています。それはどんなに一生懸命聖書を研究しても分からないことです。「飲んだり、食べたり、めとったり、とついだり(マタ24:38)」とあるように、主の日当日も、普通の生活が営まれているのです。どんなに悲惨なことが起きても、1キロも距離が離れたら他人事です。「広島に原爆が落ちたんだって」と岡山の人は噂するでしょう。自分に振りかかってこない限り、普通の生活をするものなのです。