幕屋とか聖所とか…

黙15:5「その後、また私は見た。天にある、あかしの幕屋の聖所が開いた」
天には神殿があり、神殿に契約の箱があることも書かれています(11:19)。この幕屋は11章に出てきた神殿とは別のものなのでしょうか?もう一つ疑問に思うのは、エゼキエルの40章から終わりまで、一貫して書かれているエルサレムにできる、新しい神殿の存在です。これはいつ建設されるのでしょうか?エゼキエルによれば、この神殿のサイズは1キュビトに一手幅足した長さだと書かれています(エゼ40:5)。黙示録は17章以降、最後の戦いが始まり、やがてくる新天地の様子が描かれています(18-20章)。イエス様の十字架のとき、聖所と至聖所を仕切る幕は真っ二つに裂けました(マタ27:51)。祭司の役目はクリスチャン一人一人に委ねられたのです。しかしエゼキエルの神殿でははっきりと至聖所が作られることが描かれています(エゼ41:4)。どう見てもユダヤ人のためのものとしか考えられない神殿です。なぜいまさら古いタイプの、しかも聖所と至聖所の境は取り去られたはずの神殿が必要なのでしょうか?大きな疑問です。