怒る前に

黙19:15「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる」
主は何でも許してくれて、怒らないお方だと考えているなら大間違いです。主はあなどれるお方ではありません。ただ怒るのにおそく、情け深いお方です(詩103:8)から、今は怒ることを我慢している時なのです。クリスチャンといえども、十字架の救いを受け、その意味を理解しながらも誘惑に打ち勝つことができないようなら怒りを受けるかも知れません。天使が堕落するなら、人も堕落するからです。救いを受けながらも堕落するなら、その人たちは神の子をもう一度十字架にかけて恥辱を与える人々です(ヘブ6:6)。怒りを受けないためには、前進するしかないのです。成熟こそ聖書が教えるクリスチャンの行くべき道です。死んだ行いからの回心など、基礎的なことを再びやり直したりしないように…とパウロも助言してくれています(ヘブ6:1)。悪い行いを見て「主が裁いてくださるから」と思うのか、「主の御怒りに触れないように」と思い伝道するかでは大きな違いがあります。生きたまま酒舟に放り投げる人数を少しでも減らせるようにがんばりましょう。