火の池とハデス

黙20:13-14「海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である」
火の池はゲヘナのことだと思います。もともとゲヘナの語源は「ゲ・ヒンノム(ヒノムの谷)」で、モレク(モロク)の神に自分の子どもを捧げる場所でした(2王23:10)。それゆえ火が燃えさかる場所をシュオルに相当するギリシャ語がなかったため、ヘブル語からギリシャ語に訳すときに「シュオル→ゲヘナ」としたのだと思います。ハデスが投げ込まれるわけですから、ゲヘナとハデスは別のものです。第二の死がある以上、第一の死があるはずです。一般的に、ハデスは死んだら行く場所と言われているようで、ある金持ちが死んでハデスで苦しんでいるとき、アブラハムのふところにいるラザロを見た話は有名です(ルカ16:22)。イエス様も肉体を滅ぼすものより、たましいと体をゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい…と言われています(マタ10:28)。黙示録によれば、このゲヘナは最終の裁きの場のように描かれています。ハデスにいるのは、肉体を失ったたましいです。たましいが熱いと感じるかどうかはわかりませんが、たましいの状態でも苦しむことがあるのは何となくわかります。もしそうなら、「死んだらおしまい」という考え方は間違いです。むしろ死んでからのほうが長いのです。