あきらめないこと

1サム12:22「まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ」
私たちは見捨てられないはずです。それは罪の状態から、回復しているからです。何百回でも言いますが、罪は何か定められていることを破ることではありません。罪は神から離れた「状態」を指すのです。どんなに毎週教会に行き、礼拝を守ったとしても心が神と和解していない状態では無駄になってしまいます。肉がある限り、神に逆らう誘惑は無くなることはありません。主との和解はただ1回ではなく、毎日行われるべきだと思います。日々、神との関係を確認し、主を認め、礼拝し、祈ることが必要です。主を認め、主を知る人こそが、「わたしはキリストにあるものだ」と宣言できるのです。何となく時間が過ぎ、ボーっとしていても人生を終わらせることができるでしょう。しかし人には主の立てられた計画があります。「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ(エレ29:11)」…多くの人がこの言葉を引用しますが、本当に望みを捨てずに、御心を知るには忍耐が試されます。最後まで、主がご自分の民を見捨てないことを知る人は誰でしょう?