イエス様の洗礼

マタ3:15「ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した」
エス様が罪を悔い改めたとしたら一大事です。世界のすべてがひっくり返ってしまいます。なぜ罪のないイエス様が悔い改めのバプテスマを受けなければならなかったのでしょう?「すべての正しいこと」とは神に従うことと同意語です。人のあるべき姿は神に従うことで、バプテスマはその一つです。また「人は水と御霊によって生まれなければ神の国に入ることができません(ヨハ3:5)」とあるように、神の国に入るために水を通る必要があります。人は出産のときには水を通って生まれますが、それは罪ある者として生まれるのです。2回目に生まれるときは罪のないものとして生まれます。バプテスマは人生の大きな区切りです。そして何よりも重要なことは、イエス様が神に従い、罪ある者として数えられたということです。もちろんイエス様自身には罪などありません。しかしイエス様がバプテスマを受けたということは、無いはずの罪をすべて背負う覚悟の現れだったのです。それゆえ、神に従ったイエス様に天から声が聞こえました。「これはわたしの愛する子(17)」…これから十字架の苦しみが始まることを知りながら、従い通したイエス様のバプテスマには大きな意味があります。