サタンの最初の誘惑

マタ4:3「すると、試みる者が近づいて来て言った『あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい』」
原文では「この石」は「これらの石」と複数形になっています。パンは2節の「空腹を覚えられた」に対応した、サタンの誘惑の言葉です。試みるのギリシャ語は「誘惑する」と同意語で、英語の聖書では「temped」となっており、誘惑する者と訳されています。石をパンに変えることがなぜ誘惑なのでしょう?バプテスマのヨハネは「神は石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことができる(ルカ3:8)」と語っています。つまり石から人が生まれるなら、石をパンにすることはできたと思います。空腹なのだからパンを食べなさい…というのは当たり前のような気がします。サタンは「生きる」には、まずパンでしょ…と誘惑しているのです。しかしイエス様は「口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられる(マタ15:17)」と言われたように、食べ物は所詮、この世で生きることを長引かせるものに過ぎないことを悟っておられました。空腹だからパンではなく、まず神の言葉が人の魂に命をあたえ、霊が生きるのです。それから人はパンを食べます。「生きる」ことは神の御心で、御心は聖書にすべて書かれています。それゆえ、パンよりも御言葉なのです。