聞いて信じる

ロマ10:17「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」
誰かがキリストを伝えなければなりません。ヤコブは行ないがなければ信仰は死んだものだと言い(ヤコ2:17)、パウロは救いは行ないによってもたらされるのではないと言います(11:6)。どちらも観点が違うだけで、真理を語っています。たとえば、ここにクリスチャンと未信者がいるとしましょう。未信者は何か良い行ないをして、救いを得ようとしますが、いっこうに救われません。クリスチャンは未信者のために一生懸命祈りますが、未信者はなかなか救われません。クリスチャンが一日中部屋に閉じこもって祈ることで、世界が救われるなら、そうしたほうが良いでしょう。しかし聖書の原理は違います。クリスチャンは世に出て行き、御言葉を語らなければなりません。そのメッセージは未信者の心を捕らえ、やがて救いに導かれるでしょう。信仰は聞くことから始まるからです。もしクリスチャンがさぼって、御言葉を語らないのなら信仰は育たず、未信者の心には永遠に信仰が生まれることはないと思います。