究極の戒め

ロマ13:19「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』ということばの中に要約されているからです」
エス様も律法は2つの戒めに集約されていると話されました。心を尽くして主を愛することと、隣人を自分自身のように愛すること(マタ22:37-39)です。考えてみれば、最初からこの2つだけを与えてくれれば良かったのに…と思ってしまいます。では、他の多くの律法は無駄だったのでしょうか?余計なものだったのでしょうか?そうではないと思います。悪を示されるまでは、悪いことだと知らなかったとパウロも証言しています(ロマ7:7)。光があって闇があるのです。天地創造のときからやみはありました(創1:2)。実は「光よ、あれ」という前に、やみがあったと書かれているのです。それは明るいところで光が照らされても、光が輝いていることがわからないからです。すべての戒めは、悪を浮き彫りにする神の知恵です。そしてイエス様の示された2つの戒めは、神の知恵の極みだと信じます。すべてを許し、受け入れる心は神の業であり、人間に残された唯一の生き延びるための知恵です。