死んだ人にも生きている人にも

ロマ14:9「キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです」
死んだ人にとって、キリストが生きることは何か意味があるのでしょうか?前の節では、生きるのも死ぬのも主のためだと書かれています。「死」は肉体がなくなることです。肉がなくなれば、純粋に神を求めるようになる?…そうかもしれません。それならば、クリスチャンになればみんな死んで、霊と魂の存在になって礼拝すれば良いのでは?そうではありません。肉があるから、主はあわれむことができるのです。生きているときが勝負のときです。死んで天国に行ける、などと思って適当に人生を過ごすなら、その人は神のあわれみを誤解しています。死んだ人にさえ主となってくださるイエス様は、まして生きるもののためにはどれほどの愛を注がれたことでしょう。死はもはや、クリスチャンを縛りません。喜びも苦しみもすべて主がご用意してくださったものです。もし…その人が主と常に交わるなら…という条件が付きますが。