弱さを知るなら

2コリ11:30「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります」
自分は何でもできる、と思っている人にとっては神の存在は薄いものに違いありません。少しばかりの力を過信するなら、高慢にはなっても謙遜にはほど遠いものです。若い頃は世間知らずのゆえに、小さい世界の中で自分を見つめ優越感に浸るのです。人生経験が豊かになってくると、世の中は広く、世界には自分より優れた才能や能力を持つ人が山ほどいることに気づくでしょう。「隣人を愛しなさい」という、わずか1行の命令であっても人の力で完成させることはできないのです。人が非力であることに気づくのに、なんと時間がかかることやら…。しかしパウロの言うように「自分は弱い」と悟るときに、神の力は最大限に人の間で働くのです。自己中心になり、おごり高ぶるなら神の出番はなくなってしまいます。神が働くチャンスを奪ってはいけません。へりくだり、聖霊がみ業を行う機会を差し上げましょう。み業の弊害になるのは人の心です。肉が消えると、聖霊の思いは前面に出てきます。