豊かに与える

2コリ9:11「あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです」
周りと比較するなら自分が平均以下かどうかがわかります。誰かより豊かだから「わたしは豊かだ」と言うのでしょうか?結論から言うと、比較することそのものが間違っているのです。どんな環境にあっても「わたしは満たされている」と言えるなら信仰のたまものだと思います。毎日食事が食べられるなら、満足ではないですか?自分を着飾ったり、高級なものに関心が寄せるようになるなら、必要以上に与えられているのです。金と物で満たされていると勘違いしている人は、神に感謝しません。らくだが針の穴を通るほうがまだやさしい…のです。金は天下の回りもの、とは聖書の言葉ではありませんが、的を得た言葉だと思います。私たちは信仰によって豊かなのです。そう思い込むことを勧めているのではありません。決して回りと比較せず、神と自分の関係だけに目を留め、思い直してみましょう。本当にイエス様は、与えてくれないお方ですか?自分は本当に満たされていないですか?十分な恵みがあるのに、「足りない」と言うのは失礼です。一歩進んで感謝に満ち溢れるなら、与えることが喜びに変わります。