私は何者なのでしょう

1歴29:14「まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません」
ダビデの問いかけは、全く現在のクリスチャンの問いと同じだと思います。一体私たちが何者だからといって、このような一方的な恵みをお与えになるのでしょうか?どんなに裕福になろうとも、すべては主のものです。また、髪の毛を白くすることも黒くすることもできず(マタ5:36)、死ぬときも産まれてくるときも自分で決めることができません。何も持たないようですべてを持っています(2コリ6:10)。しかし最後は裸になり、土に帰るのです(ヨブ1:21)。そのような運命の人間であっても、あわれみ、愛し、神の持てるすべてをお与えになろうとする…これは、神のご性質です。献金も奉仕も与えられたものから、お返しするだけのことです。すべてを支配されているお方に不可能はありません。もしあるとするなら、人の心にある肉の思いだけです。主に対して何を祈り求めますか?